大楽寺の歴史

宮中と呼ばれる宇佐の小盆地南宇佐に位置する大楽寺は、 医王山を背にした段丘にあり眼前には神領の社を臨むことができる。

宇佐市内では宇佐八幡宮に次いで貴重な史跡であり、数多くの文化財が護持されている。
また近年では、厄除け祈願のお寺として信仰を集めている。

後醍醐天皇の勅願寺

元弘3年(1333)、後醍醐天皇の勅願寺、宇佐神宮大宮司到津家の菩提寺として創建された。

開基は宇佐八幡宮大宮司 宇佐宿祢到津公連公、開山に奈良西大寺の道密上人を招請した。

翌元弘4年(1334)、建武と年号を改めた後醍醐天皇は、宇佐神宮の神威に叡感あって鎮護国家を記念され、 この時到津家の菩提寺であった大楽寺を勅願寺に定められた。

当初は西大寺末の真言律宗として九州地方における律宗の道場と定めて顕教と密教を修めていたが、 後に、古義真言宗東寺派に所属し、現在は高野山真言宗の包括下にある。

八幡宇佐宮 医王山大楽寺ともいうが医王山と号したのは江戸時代のことで、寛延2年(1717)の『豊鐘善鳴録』巻五(釈道密の項)が初見である。 恐らく本尊を薬師如来とみなしたため、そのような山号になったものと推察される。 官宣旨に「慈尊の三会」と見え、本尊は当初から弥勒仏であり、現在まで引き継がれている。

※『太宰管内志』に「大楽寺も初は江島村に在しと云今も江島村に大楽寺跡と云田ノ字あり」と記載があり、 現在「デラクジ」や「デラクジダ」という地名の小字がある。この創建は中興開山とされる。また、本尊、脇侍仏、四天王立像は旧大楽寺より遷座されたものと思われる。神宮内に在った弥勒寺本尊は市内極楽寺に安置されている。

豊富な寺宝

国指定重要文化財の木造弥勒仏及両脇侍像3躯、その四方に立つ同じく国指定重要文化財の四天王立像(4躯)は、いずれも11世紀後半から12世紀(院政期)のものである。定朝様式の寄木造りであり、院派仏師の作とされている。

宗円覚書には、応永8年(1401)に涅槃像(県有形文化財)、15年に舎利塔(市有形文化財)が当寺に着いたとあり、現存している。

開山道密上人が使用していたと伝えられる五鈷杵(諸煩悩を打破し仏性を呼び覚す法具)や、 大楽寺文書、北朝年号の永徳2年(1382)銘の梵鐘は、大分県最古の国産梵鐘で県の有形文化財である。

境内案内図

大楽寺境内案内マップ

大楽寺の文化財

国指定重要文化財

木造弥勒仏三尊像

木造弥勒仏三尊像(旧国宝・平安時代)

弥勒仏は大楽寺の本尊で、平安時代後期の秀作といわれる。 桧材寄木造の結跏趺坐像で、像高1.43m、古色仕上げ。
脇侍の法苑林菩薩及び大妙相菩薩立像は、本尊と共に造像された。

四天王像

四天王像(平安時代)

増長天、持国天、広目天、多聞天の四天王は鎮護国家の武神を意味し、 甲冑で身を固め憤怒相で立っており、いずれも桧材寄木造で平安時代後期の作。

県指定有形文化財

絹本着色仏涅槃図

絹本着色仏涅槃図(室町時代)

永徳二年在銘梵鐘

永徳二年在銘梵鐘(南北朝時代) 大分県最古

鬼面五鈷杵と伝弘法大師直筆の般若心経

鬼面五鈷杵(鎌倉時代)

数多い密教法具の一つで、仏性を呼び覚ます法具として用いる。 大楽寺の五鈷杵は鬼面、“しがみ”を鋳出すなど壮重な趣をもっている。 開山道密上人ご所持のもので鎌倉時代後期頃の製作。
(下は伝弘法大師直筆の般若心経)

市指定有形文化財

如意輪観音像

如意輪観音像(平安時代)

聖観音菩薩立像二体

聖観音菩薩立像二体

  • 三千仏図(南北朝時代)
  • 舎利塔(室町時代)
  • 大楽寺文書一六部(令和5年に県指定有形文化財になりました)
  • 六地蔵石幢(安土桃山時代)

その他

  • 青磁香炉
  • 羅漢図
  • 十二天屏風
  • 金字五大種子五輪塔図
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拝観のご案内

拝観時間
9:00~17:00
拝観料
本堂 500円(団体割引有 20名様以上は1人300円)

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